竹谷の仕事。

小学校でのプログラミング教育の普及に取り組んでいます。

人にはそれぞれちがいがあることを認め受け入れる力

 今の子どもたちの友達関係では、「好きな音楽が同じだから友達」とか、「よく見るテレビが共通だから友達」といったような、相手に自分と同じであることを求めることがより強くなっています。趣味が似ていることは話題が合ったり、共感しあったりして、関係を深めることにつながります。そのこと自体は決して悪いわけではありません。しかし、これが行き過ぎてしまって、「同じでないから付き合えない」と思い込んで相手を排除してしまうようになると問題です。
 「大きいから・小さいから」「男だから・女だから」「やることが速いから・遅いから」「塾に行っているから・いないから」「言ってることがわかるから・わからないから」…人によってちがいがあるのは当たり前なのに、自分と同じでなくてはいけないような気になってしまうのです。「ちがい」は「まちがい」だと勘違いしてしまうと言ってもいいかもしれません。こうした感覚は私たち大人の中にも潜んではいないでしょうか。「みんなちがって みんないい」と心から言えるでしょうか。
 ある集団の中で、多数が支持する意見や行動に対して同調することを強いる有言無言の圧力のことを「同調圧力」といいます。友達と自分の考えがちがうということをはっきりさせると、仲間はずれにされるのではないかという不安を感じるのは子どもたちの中に少なからずいるようです。この不安感こそがいじめを強める負のエネルギーになっているのです。
 一人や二人のいじめる子がいても、周りの子たちがそれに一切同調せず、みんなでいじめる行動を否定すれば、その子たちもいじめを続けることはできないでしょう。しかし、いじめに加担したり、自分はやらないまでもいじめを肯定したり、見て見ぬふりをしたりする子が多ければ多いほど、いじめは加速します。どの子もいじめの加害者にもなりうるし被害者にもなりうるというのは、いじめの原因は個々の子どもの性質にあるというよりも、むしろ集団の構造に、より大きく依存するからなのです。
 いじめやまちがった行動に負けない強い子に育てるというのも大事ではありますが、それだけを追い求めるのは大変だし苦しいものです。むしろ、それぞれちがって当たり前なんだし、いろんな子がいるからおもしろいんだ、考えがちがうからこそ、いろいろ話し合って互いに成長し合っていけるんだという雰囲気を育てることが大切なのではないかと思います。このことは担任が学級集団を育てることだけで実現できるものではなく、家庭で一人ひとりの子どもの「人間の見方」を育てていくこととが両輪となって取り組んでいくことで初めて実現できるものだと考えます。