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竹谷の仕事。

小学校でのプログラミング教育の普及に取り組んでいます。

地震!その時、学校で

 私は地震発生の時、6時間目の授業をやっている最中でした。立っている私より、座っている子どもたちの方が先に揺れに気付き、
「先生、揺れてる!」
と口々に。避難の放送も入り、防災頭巾を着けさせて机の下に潜らせました。私もヘルメットをかぶりました。最初のうちは先日のようにすぐ収まるかなと思いましたが、長く揺れ、しかもだんだん強く…慌てて(もちろん子どもに悟られないように)入り口のドアを開けて、私も机の下に潜りました。ドアを開けるのは、ご存じだと思いますが、地震で建物がゆがむと開かなくなって避難路が閉ざされるからです。
 どれぐらいの時間だったのだろう?何分も続いたような気がしました。このまま倒壊するか?という恐怖に襲われ、足がすくむのを感じました。ようやく揺れがおさまり、校庭に避難しました。うちのクラスの子達は比較的落ち着いていましたが、ほかのクラスや学年では泣いていたり気分が悪くなったりした子達が見られました。幸い、ケガをした子はおらず、学校にいた子はすぐに全員の無事が確認できました。
 引き渡しを始めて、1時間半ほどで半数ぐらいの子ども達が保護者と一緒に下校していきました。それまで友達と談笑していた子が、お母さんの顔を見るなりワッと泣いて抱きついていきました。やっぱり怖かったし、不安だったんですね。途中、雨がぱらついて寒さも厳しかったので、校庭から体育館に移動しました。18時頃までには9割方の子ども達が下校しました。しかし、電車がすべて止まっているので帰ってくるのに時間がかかっている保護者も多く、長期戦の様相を呈してきました。そこで、防災倉庫を開け、毛布とクラッカーを出して子ども達に配りました。そして温かい麦茶も作りました。19時を過ぎると、残っている子ども達は数名になりましたので、保健室に保護場所を替えることにしました。近くのスーパーに夕食を買い出しに行き、先生方も一緒に食事をとりました。
 結局、最後の子ども達を引き渡すことができたのは23時半頃になったそうです。都心から何時間も歩いて必死にわが子を迎えに来られたことに親心を感じました。私は23時頃に先に失礼させていただきました。管理職を含め、数名の先生方が最後まで残られていました。帰宅してしばらくしてから、高3の息子が中野から歩いて帰ってきたのを迎えることができました。途中からメールが途切れて心配していたのですが、ケータイの電池がなくなってしまったのだそうです。家族も全員が無事でホッとしました。
 子ども達は、持ち物をすべて学校において上履きで下校しました。電力事情も週明けから工場などが稼働を始めるとかなり厳しい状況になりそうです。震災への対応はむしろこれからいろいろなことを考えていかなければならないのかもしれません。想定外のことがあることと思いますが、一つ一つよく考えて冷静に対応して行かなくては、と思います。