竹谷の仕事。

小学校でのプログラミング教育の普及に取り組んでいます。

誰の仕事でもない仕事

 学校というところは、日々細かいいろいろな仕事が降り積もっていきます。例えばそれは、多忙ゆえ印刷室の紙が置きっぱなしになっていたり、セットで貸し出したデジカメがバラバラになっていたりするような細かいことから、子どもが想定していなかった行動をしたことでその対処に追われたりするという私たちの仕事の中核に関わるようなことまで本当にさまざまです。
 そういう中で、「これは誰の担当なのか」ということがはっきりしない仕事が数多くあります。一応、校務分掌というものはありますが、その組織での位置づけからはみ出してしまう部分や、緊急を要するために担当外でも対処しなければならない部分もあるのです。
 よい学校の職場というのは、そういった流動的な仕事の分担を臨機応変にし合えて、互いに不満をもつことなくむしろ達成感を得られるところなのだろうと思います。それは、サッカーに例えれば、システムや戦術は確固たるものがありながら、実際の展開の中では局面に応じて流れるようなパス交換やポジションチェンジを繰り返しつつゴールに至るというスペクタクルなゲームを実現できるチームのようなものです。なかなかそれは難しいのですが、みんながそれを大事だと考え、そういった方向を志向していこうとするならば近づけることは可能だと思います。
 先日、次のようなエントリーを見つけました。
「おせっかいな人」の孤独 (内田樹の研究室)

ビジネスの現場において、「私の仕事」と「あなたの仕事」の隙間に「誰の仕事でもない仕事」が発生する。
これは「誰の仕事でもない」わけであるから、もちろん私がそれをニグレクトしても、誰からも責任を問われることはない。
しかし、現にそこに「誰かがやらないと片付かない仕事」が発生した。
誰もそれを片付けなければ、それは片付かない。
そのまましだいに増殖し、周囲を浸食し、やがてシステム全体を脅かすような災厄の芽となる。
災厄は「芽のうちに摘んでおく」方が巨大化してから対処するよりずっと手間がかからない。

 ビジネスの現場でなくても同様のことは起きます。そこで問題となるのが、対処してしまうことを良しとするのか否かということです。私は躊躇なく対処してしまう方を選ぶのですが、人によっては対処してしまうことによって、発生している不都合が覆い隠されてしまうので、問題を明確にするために責任の所在をはっきりさせてしかるべき人に対処させるという方を選ぶこともあるのです。*1
 制度やシステムの矛盾を指摘し、それを正すことは重要なことではありますが、だからといって目の前で起きている不都合を放置することはできないのです。*2当座の問題に対処しておいて、状況が落ち着いたときに組織として不十分な点を修正するように検討していくことは可能だと思います。
 とりあえずやっておく。しかしそのままに流さない。場合によっては「きちんと怒る」。他の人がやってくれたら感謝や評価の意思を明確に伝える。そんなことが当たり前にできる職場だといいなと思います。今年一年、自分はそんなあり方だったかなと振り返りつつ、新しい年を迎えようとしています。

*1:当該エントリーのはてなブックマークコメントを読むとけっこうそういう懸念をもつ方は少なくありません。

*2:私は学校という場を想定して考えています。