何の気なしに過去記事を見ていたら、15年前に書いたこの記事が目に留まりました。
要約すると、
学校でも「誰の担当なのかわからない」仕事が発生しがちであり、流動的に分担して対処し合い、感謝を伝え合えるのがよい職場だ。ただし、対処すればいいのではなく、そういう状況に陥ってしまうのを修正することもまた必要。
といった内容です。
今になってこれを読むと、(対処できてしまうと問題が見えなくなり、その後の修正につながらないのではないか)とも思います。「そもそもその仕事はどうしても必要なものなのか、まず見きわめよう」という前提が必要だと今は思います。子どもたちの成長のために「やった方がよい(と教師が思う)こと」は山ほどあり、それがどんどん積み上がって苦しくなっているところがあるのではないでしょうか。
組織や制度の問題によって業務量が膨大になっている部分が大きく、学校が立ち行かなくなっていることは明らかです。整理して削減する取り組みはどんどん進めるべきだと思います。ただ、それだけではしばらく経てば元に戻ってしまう可能性があります。教師自身や保護者の意識改革も必要でしょう。それは何も今までの信念を捨て去ることではなく、子どもたちが未来の可能性をひらく力を付けるために本当に必要なことは何なのか、そこを見きわめようとする営みなのだと思います。