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竹谷の仕事。

小学校でのプログラミング教育の普及に取り組んでいます。

震災から7か月,気仙沼に来て5か月

 震災から7か月が過ぎました。先週,気仙沼小学校の体育館から最後の避難者の方がアパートや市民会館に移動して避難所としての役割を終えました。がらんとした体育館に入ると,ここに一時は約300人が生活していたのだということがにわかには信じられません。避難所は解消されつつあるものの,まだ数十人の方が避難生活を送っています。
 気仙沼小では50人近くの子ども達が自宅を離れて,親戚の家や賃貸住宅,そして仮設住宅で過ごしています。南気仙沼小では児童の7割が学区外から通っています。仮設住宅での生活はこれから長いことたくさんの方々が送っていくことになります。夏は暑く,冬は寒いという決して過ごしやすい環境とは言えない中での暮らしを,今後の生計にも不安をかかえながら過ごしていく日々です。
 今日,初めて気仙沼に来た日に見た大谷海岸駅に行ってみました。海岸の松が撤去されて,がれきが多少片付いたほかは変わっていません。

 そして,最近まで通行止めになっていた鹿折地区の道路が通れるようになったので,行ってみました。ここは震災後火災が発生し,2週間燃え続けたところで,今までは高台から遠く臨むしかありませんでした。現地に立ってみると,新しい道路ができ,新しい電信柱が立っているのですが,その傍らには打ち上げられた大きな漁船が横たわっていました。ここは海から数百メートル離れた場所です。写真でいうと海は右手の方になります。

 こんな非日常的な風景を見なくてすむようになるのはいつのことなのでしょうか。私も何もできませんが,想像することはできます。東京にいる皆さんも,被災地のことをせめて月に一度は思い出して,そこで暮らす人々の思いを想像してみてください。私はそれだけでも大きな意味があると思います。