「明日」をつくるしごととくらし

テクノロジーを取り入れた教育の普及に取り組む NPO で働いています。

人権研修

 昨日は市の人権教育悉皆研修会として人権教育啓発推進センター理事長の横田洋三先生の講演がありました。「悉皆」というのは「ことごとくみな」という意味で、重要なテーマなので漏れがないようにという位置づけです。演題は「今日の日本における人権教育の意義と課題」ということでした。

 人権教育は、「他人の人権を侵害しない」、「自分の人権が侵害されたら声を上げる」、「自分とはかかわりがなくても人権が侵害されているのを見たら声を上げる」という当たり前のことができるようにするためのものである。

という言葉が印象的でした。当たり前を当たり前にやるというのが実は難しいということを改めて考えさせられます。
 以下、お話しいただいた内容を雑なメモですが書き留めておきます。

  • 人権教育は大事だが、どこでどのようにやるのかが明確になっていない。カリキュラムや評価をどうするか国連でもなかなか合意に至らない。
  • 日本の人権に関わる状況がどうなっているかを見てみると、たとえば企業の男女比は圧倒的な男性優位で国際的なスタンダードに照らして異様に映る。
  • 表向きは実力本位を掲げながらも実態を見てみると制度として実力のみで判定されるようになってはいない。
  • 大学の教員を見てみても女性が少ないのは、成績でみれば女性の方が優秀であることが多いにもかかわらず、研究者の道を選ぼうとするときに周囲からやめておくように圧力がかかるため。
  • 企業でも女性は出産・子育てによって非正規雇用に追い込まれる立場。賃金水準をみてみると、男性を100としたときに女性は67。
  • 男女共同参画社会へと国を挙げて取り組んでいるが、国際的には192カ国中54位とむしろ低下している。
  • 日本は世界的に見ると人権教育に積極的に取り組んでいる方で、視覚に訴える効果的なポスターをわかりやすいパンフレットなどを作成したり、さまざまなところで研修などが進められている。
  • 国連でも人権問題に取り組んでいて、特に課題となっているのが紛争の中で起きる人権侵害である。しかし、当事者の死亡や証言に対する圧力といった問題により、なかなか実態が明らかにならない。国際刑事裁判所はあるが、そのような事情で活用されていない。
  • 国連では人権侵害を犯しやすい兵士・警官・検事などに対して人権教育を行うよう求めている。
  • しかし、当たり前のことをやる人間がどれだけいるのか。法務関係者や意識のある専門家などに任せてしまっていないか。
  • さまざまな取り組みと実際の成果がかけ離れている。あらゆる人があらゆる機会に人権を意識して行動できるようにしなければ、結果に結びつかない。
  • 人権教育の成果を何で測るか。何を基準にするかが問われている。
  • 基準は知識の量ではない。知識は助けにはなるが望ましい行動に直接結びつくわけではない。
  • 人権意識を育てるのは、数量化できないHumanitiesの分野に属する「感性」や「情感」である。
  • すべての子どもが「できる」ではなく「よくできる」のレベルを達成できる内容の人権教育を進めていく必要がある。
  • 人間関係についての感性が人権意識を支える。それを育てるのは家庭では一つには母親が子どもに接するときの態度である。子どもの時に、どのように自分が受け入れられてきたかという経験が影響している。
  • 学校では、決まった内容があるものをいかに教えるかというノウハウは蓄積されてきたが、内容が固定されていないものをどう教えるかということについては十分な手立てが確立されていない。
  • 教師の接し方で子どもたちの人権意識は左右される。もし、教師が強制的な指導ばかりに明け暮れ、誤りを指摘されても正さないような態度で子どもたちと接すれば正しい人権意識など育たないであろう。「子どもの権利条約」の上に立った対応が必要である。
  • 社会においては、子どもたちを危険から遠ざけるために「悪い人」には近づかないという意識がすり込まれている。しかし、外国人や障害者に対して親がよくわからないという不安から「近づいてはいけない」というメッセージを子どもに伝えることがあるが、そこから差別意識が生じることが多い。
  • 職場においても何がセクハラやパワハラになるのか、十分に理解されていないことが多い。待遇の差が生じていることも意識されにくい。
  • 自分の職場で正規雇用を確保しようとすると、それは人件費の増加につながり、製品の価格を上げざるを得なくなって社会的競争力を失ってしまうという矛盾が生じる。