いじめる側が自分を正当化する論理としてよくあるのが、「○○がやったから、自分もやった。○○がやらなければ、やらなかった。」「やったのは自分だけじゃない。なのに、何で自分が叱られなくてはならないのか。」「自分は何もしていない。なのになぜ一緒に注意されるのか。」「いじめられる子が悪いから、それを直そうとしたのだ」などといったものがあります。
しかし、最終的にやるかやらないか判断するのは自分なのです。周りもやっているから、という理由をつけることで自分の責任を薄めていく子どもはどんな大人に成長するのでしょうか。そして、どんな社会をつくっていくのでしょうか。また、相手が悪いから何をしてもいいという考えについてですが、自分が悪かった場合は何をされても仕方ないとあきらめるのでしょうか。どんな理由があれ、自分はいじめられてもかまわないなどという人間はいないはずです。
自分がやったことをきちんと認め、周りのせいにせず責任をきちんと負っていこうとする子どもはどうしたら育つのでしょう?