「明日」をつくるしごととくらし

テクノロジーを取り入れた教育の普及に取り組む NPO で働いています。

10年前、被災県支援教員として

 今から10年前、東日本大震災の発災から2か月経った気仙沼市気仙沼小学校に東京都から支援教員として赴任しました。
takeyamasaaki.hatenablog.com
 それから年度末までの11か月間、なじみのない土地での生活、40代後半にして初めての独り暮らし、東北の気候風土などなど、いろいろな経験ができました。何よりも大きかったのは、自分が役に立てるところなんて本当に限られているんだ、としみじみ思い知らされたことです。今から思うと恥ずかしくなりますが、ある程度教員としての経験もあり、変な自信があったのですね。
 役に立った部分もあったとは思いますが、副担任としての役割は十分に果たせず、主担任の先生の足を引っ張ってしまうことがたくさんありました。子どもたちにも迷惑をかけました。謙虚に向き合う姿勢が足りなかったのが一番の原因だったのでしょう。意識もどこかよそ者のままでいたのかもしれません。それでも親切に温かく接してくださった気仙沼の方々にはとても感謝しています。
 この経験はその後の生き方を考える上で大きな示唆を与えてくれました。これからのキャリアで、自分がもっている力を最大化できる場はどこだろう?そんなふうに考えるようになりました。小学校の教員からNPO法人の講師に転職する際に、縁とタイミングが大きかったのは確かですが、気仙沼で過ごした時間がなければ、踏み切ってはいなかったことでしょう。
 振り返るのは苦しいこともあり、なかなか書けずにいたのですが、自分にとって大事な経験だったということを、ここで改めて記しておきたいと思います。